スタッフの三戸です。
なんかこのスタッフブログを私物化してるような気がします。
ほどほどにしようと思いつつも、
思いつくままに書いてしまいます。
ドラえもんが生まれるまであと100年を切ったそうです。
(ちなみにドラえもんの誕生日は2112年9月3日)
ドラえもんの秘密道具と言えば数多くありますが、
最も有名な物の一つがタイムマシンでしょう。
「タイムマシンがあったらどうしよう?」
という夢想は多くの人は一度は抱いたことがあると思いますが、
大半は「過去に戻って今を変えたい」などと考えて、
「未来に行きたい」という人は少数派なのではないかと思います。
競馬とか株とかやってたら、
「未来に行って価値が上がる株、勝つ馬を知りたい」と考えるかもしれないですけど。
ちなみに私はどちらかと言うと過去派です。
ですが、一番の願いは「タイムマシンよ、できてくれるな」です。
というのも、もしタイムマシンができてしまったら、
私が大学で勉強してきたことが無駄になってしまうからです。
私は、元の姿の残っていない万葉集、
写本によって記述が異なる源氏物語、枕草子といった日本の古典文学や、
平安・鎌倉・室町期の発音を記した古辞書や仏教の経典などを相手に勉強していましたが、
もしもタイムマシンが発明されようものなら、
万葉集や源氏物語の原本を手に入れることができたり、
時代時代の日本語の発音は当時に行って耳にすることができたりで、
分からなかったことが全部わかってしまうわけです。
分からないことが全て分かるというのは、
一見夢のあるような話ですが、
その実全く夢のない話だと私は思います。
もしタイムマシンができて過去に行けるようになれば、
古い日本語や物語を研究していた学者は研究対象を失い失業してしまいます。
某漫画の某マッドサイエンティストのセリフにこのようなものがあります。
完璧であれば、それ以上はない
そこに創造の余地はなく
それは知恵も才能も、立ち入る隙はないということだ
これは科学者という理系の人間のセリフですが、
同じことが文系の研究にもあてはまるのだと思います。
いえ、「研究」というと堅苦しいですが、「勉強」にもあてはまるでしょう。
分からないから勉強する。
これこそが勉強に対する姿勢の第一歩でしょう。
そして「分からない」が「分かる」ようになったら、
また次の「分からない」に挑戦する。
勉強はその繰り返しです。
中央ゼミナール生で、もしくはこのブログを読んでくださっている方の中で、
勉強していて分からない問題に直面して投げ出したくなる人もいるかもしれません。
しかし、「分からない」からこそ勉強するのですから、
投げ出す事だけはしないでいただきたいですね。
諦めずに勉強している人でも、
勉強の時間を確保するためにもタイムマシンが欲しいかもしれませんが、
今のところタイムマシンは存在しません。
文系人間の私ではありますけれども、
化学か何かの授業で「可逆反応」と「不可逆反応」というものを
習ったのを遠い記憶でおぼろげに覚えています。
時間ほど「不可逆」な物もありません。
ドラえもんものび太に対してこう言っています。
君が昼寝している間も、時間は流れ続けている。
一秒も待ってはくれない。
そして流れ去った時間は二度と帰ってこないんだ!!
タイムマシン持ってるお前が言うな、とも思いますけど。
我々は未来しか行けないタイムマシンに乗ってるようなものです。
時間を浪費することなく勉強しましょう。
…と7年間大学に通った時間を浪費するスペシャリストである
私が言っても説得力0ですね。
まあでも7年間通ったからこそ
今こうして中央ゼミナールで働かせてもらってる部分もありますし、
「人間万事塞翁が馬」だとは思いますけど。
