哲学とそれを学ぶことについて

投稿者: | 2012 年 11 月 9 日

皆さんは「哲学」という言葉を聞いてどのようなこと思い浮かべますか。例えば、宗教や政治、あるいは人生についての格言などといったことでしょうか。そのようなものは、哲学に関わってはいるものの、哲学そのものを言い当てているとは言い難いと思います。それでは、哲学とは何か。正直な話、私自身いまだにこの問いにはっきりと答えることができません。しかし、それでも私は哲学という何かを学んでいます。いったい私は何を学んでいるのでしょうか。

私が学んでいる哲学の分野はドイツの古典哲学、特にドイツ観念論と呼ばれるものです。ドイツ観念論における主要なテーマの一つは「自由」です。皆さんはどのようなときに自由を感じますか。学業や仕事から解放され休日を楽しんでいるときや、誰にも邪魔されることなく自分の好きなことをしているときなどでしょうか。たしかに、そのようなとき皆さんは自由であると言えるでしょう。しかし、自由であるということは、そのようなときに尽きるものでしょうか。ドイツ観念論の哲学者J.G.Fichteは、自由を「他の人々に対する自らの責任を自覚しつつ行為すること」と考えました。例えば、食事をするときに、その食事を作った人を思い浮かべつつ、その人に対して自分自身が食事をしているということを自覚していることが自由であると言われます。要するに、自らの行為に他の人々が関わっていることを意識して行為することが自由であると言われるのです。皆さんには「なぜそれが自由であると言われるのか」という疑問が浮かんでいるでしょう。普通そのようなことは自由というよりはむしろ不自由に近いと感じられるでしょうから、その疑問は当然のものです。私自身このような疑問を持ったために、Fichteの哲学を学んでいます。

したがって、私が学んでいるのはFichteの哲学であり、哲学そのものではありません。それでは、哲学そのものとは何か。その問いに対する答えは、皆さんが実際に誰かの哲学を学ぶことを通して、皆さん自身が考え出さなければならないものです。哲学を学ぶとは、あくまで誰かの哲学を学ぶことです。「哲学とは何か」という問いには、皆さん自身が考え、答えなければなりません。そして、そのように自分自身で考えることではじめて、哲学そのものに触れることができます。哲学とそれを学ぶこととは、皆さん自身が考えることによってはじめて結びつくものです。皆さんも実際に考えてみてはいかがでしょうか。

古川先生