「To Be or Not to Be. That is the Question.」

投稿者: | 2013 年 10 月 15 日

ドイツ語では、「お腹が空いている」ということを、“Ich habe Hunger.” と表現するのが普通です。この表現の中のhabe は、「持つ」という動詞 haben の一人称単数形で、英語では、have にあたります。ですので、そのまま英語にすると ‘I have hunger’ ということになります。しかし、みなさんもご存知の通り、英語では、“I am hungry.” のようにbe 動詞を使いますね。この be にあたる動詞は、ドイツ語ではseinです。こうした類似性のため、英語を学んできたドイツ語の初学者は、“Ich bin Hunger.” としてしまう間違いがよくあります。つまり、haben であるべきところを sein にしてしまうのです。(形容詞の hungrig を用いた “Ich bin hungrig.” という表現もあるので、それとの混同もあるかもしれません。)
この sein と haben との混同をめぐって、1998年3月10日、ドイツのミュンヘンで、ある有名な「事件」が起きました。当時、ドイツのサッカーチーム「バイエルン・ミュンヘン」を指揮していたイタリア人監督ジョバンニ・トラパットーニ(後にイタリア代表監督となり日本でも有名になりました)は、シャルケ04との試合後の記者会見で、0対1での敗戦について語っていました。彼の母語はイタリア語でしたが、ドイツ語を話すことができたので、記者会見の際にはドイツ語で話すのが常でした。その日、彼はとても怒っていて、冷静さを欠いているように見えました。というのも、負けているうえに試合中ある一人の選手がひどいプレーをしたからです。そして、その3分ほどの記者会見をこう締めくくったのです。
“Ich habe fertig!”
この言葉を残して、トラパットーニはその場を去りました。ドイツ語をすでに学んでいる方にはおわかりかもしれませんが、本来は “Ich bin (mit der Pressekonferenz) fertig.”「(記者会見は)もう終わりだ」とすべきところです。(この “Ich habe fertig. ” は、母語話者にはきわめて奇異に、それゆえ面白く感じられるようです。YouTube などの動画サイトでこの記者会見を見ると実際にその様子が伝わってきます。)この間違いの原因はいくつか考えられますが、何よりも第二言語習得の際に母語が非常に影響しやすいということがあるでしょう。イタリア語では、“Ich bin fertig.” を ‘ho finito’(英語にすると、‘I have finished’)と言うので、おそらく彼の母語表現が影響したのだと推測できます。
これらの be と have にまつわる話は、言語習得上の単なる文法的ミスの事例であり、トラッパットーニに関して言えば、怒っている間にもユーモアを感じさせるような彼の人柄を反映しているだけのようにも見えます。
しかし、動詞(助動詞)の中でも最も基本的である be と have をもう少し体系的に見てみると、いくつか興味深いことがわかってきます。be と have の使用範囲は各言語間でも非常に揺れがあるのです。たとえば、現在完了形を作る際に、英語ではたいてい have 型を用います。一方、基本的には have を用いるドイツ語でも自動詞の場合には be 型が出現し、逆に be 型が優勢であるような言語もあります。英語で “He has three sisters.” という場合に、日本語では「彼には姉妹が三人いる」と言いますね。ロシア語でも所有を表現する場合には、have 型ではなく be 型を多用するそうです。be と have については、存在についての表現も見ていくとさらに多様化していきます。ドイツ語では、give 型も出現してきます。
さらに、言語を研究する人々だけでなく、be と have のせめぎあいは哲学者をも魅了してしまいます。20世紀の思想家エーリッヒ・フロムは、現代の社会を物質主義的なものであるとみなし、現代人が存在的であろうとするよりも何かを所有しようとする傾向が強いこと、つまり be よりも have の状態を好むことを指摘しました。そうした傾向に対して、have ではなく be について、言い換えれば、人間自身の存在について省みるようにとフロムは警鐘をならしたのでした。
be なのか be でないのか。have なのか、それとも give なのか。ハムレットの問いからは逸脱しているかもしれませんが、わたしたちがこの問題をどのように理解するかによってそれぞれの答え方があります。みなさんは、どの問題設定ならば納得できるでしょうか。
大喜先生