過程に「コミット」していくことの大切さ

投稿者: | 2012 年 2 月 4 日

「client」ということばは、ビジネスや医療、ITなどの領域でよく使われ、私たちは専門的なサービスをうける場面でこの立場に置かれる。現代において、サービスを享受する立場にいるクライエントは尊重されている…ようにみえる。しかし、このことばの語源を考えた時、意外な一面が見えてくる。「client」ということばはラテン語の語源で「寄りかかる人」「命令を求めて常に耳を傾けている人」という意味があり、古くローマでは隷属者という意味を持つ。ここで、知識や力を持たないクライエントが専門家の権威に従い、耳を傾けるしかない―そんな構造が浮かび上がってくる。
情報技術や医療、産業は高度化し、確かに私たちが生活に関わる全ての物事を理解し、その過程にコミットする事は不可能である。サービスや商品として完成されたものを「受け取る」ことで生活している。私たちはモノが製造される過程や、情報や知がどのように活用されていくかに関わる判断を下す権利を手放してきたのである。そして、真偽を疑うことや、その是非を問うことを忘れ、ただ「受け取ること」が楽で便利なことだと錯覚してきたのではないだろうか。
「専門家」も人である。高度な技術を極めることが、倫理的にどのような問題を起こすか十分に考えないかもしれず、また、社会とその文化にどのような影響を与えるか、そして人の生き方やなんらかの価値を否定してしまう可能性を考慮しないかもしれない。貧困や自殺、災害や原発…専門家にも解決しがたい問題に直面して、私たちはただ「受け取り続けること」の怖さに気づきつつある。一人ひとりが、専門家と対等に対話しながら、自らの手でより良い生活を創っていくために、さまざまな局面で自ら「コミット」していく姿勢を身につけていきたいものである。

鎹先生